こんにちは、にゃーすです。
いま、何かと話題の「親ガチャ」論争。実家のない元毒親持ちの視点から、考えてみたいと思います。
「親ガチャ」って?
アラフォーにとってこの「親ガチャ」っていう言葉自体、あんまり浸透してないのではないでしょうか。初めてこの言葉を知ったのは、1年くらい前で、キッカケはなんと、自分のひとり息子。
子どもは親を選べないからダメな親の元に産まれることを親ガチャ失敗って言うんだって~。
うまいこと表現するものだなぁ~と感心したものでした。本当は重たい問題なのに、軽めに表現するのもちょっととっつきやすくて、良いなぁなんて思ったりしました。
「親ガチャ失敗」の定義
人によって、こんな親はだめだ!という親ガチャ失敗の基準は様々あると思うのですが、にゃーす的には、親が「毒親である」ことと思っています。
単に貧乏な親の元に産まれた、片親だった、地方に産まれた(これは多少影響あるかも?)、とかじゃないと思うんですよね。
もっと言うと、「機能不全家族」の親の元に産まれてしまったことなんじゃないかと思います。
「毒親」、「機能不全家族」って?
んじゃ、毒親・機能不全家族の定義ってなんぞや?ってことなんですけども。
- 過干渉
- 虐待(性、暴力、暴言など)
- 親優先(なんでも親中心に進む)
- 格差を与える(兄弟間、性差間など)
- 義務の放棄(学費を払わない、ごはんを作らない、洋服、コンタクトなど必需品を買い与えないなど)
- 放置(無関心など)
- 依存症(アル中、宗教、薬物、ねずみ講など)
- 浮気で家庭崩壊
- 法を犯す
上げればキリがないですが、ざっとこんな感じでしょうか。上記のような家庭で育った人は「毒親」「機能不全家族」で育った「アダルトチルドレン」と考えて相違ないでしょう。
ちなみに・・わたしの実家は、上記の「法を犯す」「薬物」「性暴力」「浮気」以外当てはまる家庭で育ったので、親ガチャ失敗ということになります。
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「親ガチャ」という言葉について
いま論争になってるのって、「親ガチャ」って言う言葉自体が受け入れらない人が一定数いるってことだからでしょうか。
確かに、普通レベ以上で育ってきたカテゴリの人には、「親」という存在を「ガチャ」で表現しちゃうなんて、軽率以外の何物でもない!ってことなんだろうと思う。
加えて、自分の人生がうまく行かないことを「親のせいにしていませんか?」とか「100歩譲って親ガチャ失敗だったとして、じゃあ、次あなた自身はどう生きるんですか?」とか言いたいんじゃないかと。
つまり、どんなに不幸でも自分の努力次第で人生は切り開ける!的なことだと思います。
※ここからの文章は多少リアルな表現が含まれています。アダルトチルドレンの方にはフラッシュバックをして辛い思いをされる方がいらっしゃるかもしれません。そのような方は飛ばして下さい。
親ガチャ失敗の現実~幼少期・学生時代
子どもは無条件に親を愛し、頼っています。親は(特にお母さんは)子どもにとって世界のすべてだからです。
産まれたときから一番近くにいて深くかかわる大人なのですから。
わたしは高校生くらいまで、自分ちは良い家庭ではないけど、周りもこんなもんだろう、くらいに思っていました。
小学生時代、母が21時半以降、起きていたのを見たことがありませんでした。それは早起きだったからと泥酔していたから。
物心ついた時から、夜にシラフなことがなく。なので、夜に具合が悪くなっても病院に連れて行ってくれたのは父でした。
昼間は昼間で、帰宅すると母の宗教関係の大人が家に居て悪魔祓いをしていたり、七五三の日に母がキレて来てくれなかったり(父と姉と3人で行った)、
ピアノの発表会なのに無関心だったり(4年間で1度来てくれた)、
中学生時代は、家族で談笑しながら食事をしていても、次の瞬間には母が父を罵倒し、それに父がキレて母を殴ったり、
みんなでテレビを観るってことが1度もなかったり、運動会の親子行事を忘れられてたり(中3の二人三脚。たまたま見に来ていた父と走ったw父ナイスw)、
高校生時代になると、夜中に泥酔した母が大声で寝言を叫んだり、トイレと間違えてわたしの部屋に入ってきたり、母の布団は就寝時の失禁で異臭を放っていたり。
暴言暴力が日常的にあり、こんな状態なので家に居づらく、出来るだけ外に居ました。
家でテスト勉強していも喧嘩の仲裁をしたり、喧嘩でうるさくて集中できず、家には居場所なし。
うちはおかしいんじゃないか?と友だちの家に泊まりに行ったときに疑念に思ったが、友だちの方が逆にスゴイ恵まれているんだろう的なところで着地。
整合性が取れないと精神崩壊しちゃうんですよね。だから本能的に、この状況に納得しちゃう。
自分は恵まれていないかもしれないけれど、戦争している国に産まれたわけでもない、ホームレスなわけでもない、と。
ましてや、母子家庭でもない。アパート暮らしでもない。この分かりやすいワードじゃないのも、周囲の人たちに言い出せない一つの要因になっているでしょう。
でも、実際は。
一度も服を買ってもらえず、お小遣いももらえず、親には借金があり、毎晩泥酔の大暴れ・暴力。
持ち家だって、建坪30坪に家族6人。4畳半に姉と押し込められていました。泥酔する母の部屋を通らないと子ども部屋に行けない造りで、最悪。
ひっそりとなんとかこの場所で耐えて生きていこうとする、こういう状況で育っている子どもを「サバイバー」と言います。
県外私立短大への進学するお金がなかったり、(姉は県外私立の短大&国立大編入で出してもらっていた)
その後、にゃーすが借りた奨学金の一部が母のねずみ講商法に充てられていたり、
初めての帰省で、嬉しくて駅から電話したら、「勝手に県外に出て行った奴が電話をするな!さっさと自分で帰ってこい!」と父にガチギレされたことも。(これは結構傷ついた)
成人式は家族のだれもが興味もなく、着物のレンタルや写真撮影もひとりで行った上、父にキレられ号泣!
この頃は県外に居たので日常的には物理的に被害を免れていたましたが・・
親ガチャ失敗の現実~社会人時代
社会人になったタイミングで県外から地元へ戻り、実家の近くで姉と二人暮らしを始めたあたりから、うちはおかしいかも、という疑念は確信に。
でも誰にも言えませんでした。
就職1年目って、毎日泣きそうなくらい大変じゃないですか。ヘトヘトになって家に帰ってきて、ご飯作って一休みしている時間に、実家の父から呼び出しがあるわけです。
要するに、母が泥酔して大暴れしているので埒が明かないからすぐに来い!ということです。
おそらく、母はもともと人生がうまく行かないことや環境の変化・人間関係等のストレスで、以前よりもずっとお酒が進んでいたんでしょう。
父は慢性腎不全になって透析生活が始まり、母のことが手に負えなくなっていたという側面もあります。
社会人1年目でクタクタになって帰宅した後の、実家でのアル中対応はかなり辛いものがありましたが、
わたしは就職超氷河期時代で、就職するのに大変苦労した世代であったため、仕事を簡単にはやめるという選択肢は出てきませんでした。
結婚するときも、「お前なんて幸せになれるはずがない!」と真正面でしっかりと目を見て暴言を吐かれたことは、一生忘れないと思います。
ちなみにこれは、だいぶ具合が悪くなった父が放った言葉でした。
逆にこのときはなぜか母は賛成してくれるという連携プレイで、顔合わせは母と姉で取り繕ってもらいました。
結果的に、どんなに努力しても、実家のトラブルは永遠になくなることはありませんでした。
なので、何をするにも一般人より何倍も頑張らなければなりませんでした。
しかし、実家での頑張りは、全く報われません。果てしないんですよ、本当。
自分の人生なのに、毒親を満足させることが先決になっていて(結果的には満足しないのだが)、
ある程度距離をもってしても、今度は近所や世間に迷惑をかけるようなこともありました。その微妙な関わり方のバランスを保ちながらなんとか生きてきました。
part2へ続く・・
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